
「モディリアーニ その生涯と作品」
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2018年9月に出版した「モディリアーニ その生涯と作品」について
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「モディリアーニ その生涯と作品」は、約100年前にパリで出版されました。著者はモディリアーニの親友だった詩人・アンドレ・サイモンです。1932(昭和7)年、笹本恒子は交流があった画家を目指す青年・加藤太郎さんから「モディリアーニ その生涯と作品」を譲り受けました。
笹本恒子が加藤太郎さんとの思い出がつまった「モディリアーニ その生涯と作品」を「復刻したい」と思い立ってから23年──。
2018年9月に多くの友人の協力を得て出版しました。今回復刻した「モディリアーニ その生涯と作品」には、原文(フランス語)・翻訳文を掲載。そのほかに、モディリアーニとアンドレ・サイモンに関する解説、笹本恒子と加藤太郎さんとのエピソードも。また、「多くの方々にモディリアーニの作品を楽しんでいただきたい」という想いから、100年前に出版された画集の原本も復刻し、50作品を掲載。
1つひとつの作品を切り離し、「額絵」として鑑賞できるのも特徴です。ぜひこの機会にお楽しみください。


ひとつの~恋の形見~
1931(昭和6)年の夏。笹本恒子は授業料を免除される特待生として入学した東京・市ヶ谷にある女子高等専門学校を一学期で退学。油絵を学ぶため、画塾「同舟舎美術研究所」に通い始めました。主催者は小林万吾(まんご)。東京美術学校(現東京芸術大学)の教授を務める洋画家です。
恒子はこの画塾で才気溢れる1人の青年・加藤太郎さんと出会います。にきびだらけの顔に長くてカールしたまつげ。いわゆる「美男子」ではないものの、太郎さんのデッサン力は生徒の誰よりも優れており、群を抜いていました。
太郎さんの高いデッサン力に憧れていた恒子。共通の趣味である絵を通じて少しずつ距離が縮まり、やがて2人は清らかな交際に発展します。
しかし当時は、昭和初期。男女が一緒に歩いていると警察官に呼び止められる時代でした。2人がゆっくり話せるのは家の中だけです。東京・代々木に家を構えていた太郎さんの自宅へ。太郎さんのお母さんが出してくれるカレーやココアをいただきながら、アトリエにしていた2階の部屋で絵について語り合うのが日課でした。
「明日から赤城山にスケッチしに行くんだ」
「まあステキ!行ってらっしゃい!」
思わず太郎さんの手を握ってしまった恒子。これが太郎さんに触った“最初で最後”の瞬間でした。
1932(昭和7)年の冬。太郎さんは東京府立工芸学校(現東京都立工芸学校)の卒業を間近に控え、「曲馬団」「校外風景」の二点が白日会展に入選。新聞に大きく取り上げられるなど、絶賛されました。
一度受験に失敗した後、翌年太郎さんは美術学校予科に入学。画家になるべく本格的に勉強を開始しました。麦畑が広がる秋の日。世田谷代田に新築した太郎さんのアトリエで2人きりになった時。太郎さんは「交際はこの辺でやめよう」「画家になるためにお互いがんばろう」と恒子に別れを告げたのです。呆然としながらも太郎さんに「わかりました」と告げた恒子。
その後、太郎さんは1938(昭和13)年、東京美術学校を卒業。翌春招集されましたが、病により除隊に。療養後、別の女性と結婚。画家として多いに将来が期待されていた太郎さんでしたが、終戦直前の1945(昭和20)年の6月に喉頭結核に罹り、30歳で亡くなりました。
以後、恒子と太郎さんの人生が交わることは二度とありませんでした。しかし、恒子には太郎さんとの“恋の形見”として一冊の本が残りました。それが「モディリアーニ その生涯と作品」です。
美しいフランス装の洋書を見せてもらったのは、太郎さんが美術学校の予科に通い始めたころ。
「これ、神田の古本屋で買ったんだ」
「まあすごい。こんあ本があるのね」
「君、ほしいかい?」
「ほしい、ほしい」
「僕も美校に通うようになって、少し絵の具代なんかがかかるからね」
恒子は太郎さんから元値の3円で洋書を譲り受けたのです。
それから80年以上もの間──アンドレ・サルモンというフランスの詩人が編んだこの洋書は書棚の一隅で眠ることになったのです。



アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)
画家・彫刻家。エコールドパリ(外国からパリに定住した芸術家の集団)を代表する1人。端正な美貌と高い教養により多くの人々を魅了した。作品は引きのばされたような長い首、内省的なアーモンド形の瞳が特徴。1884年、イタリア・リヴォルノのユダヤ人家庭に生まれた。幼少期より芸術に興味を持ち、14歳の時に絵画を学び始める。1906年、22歳の時にパリへ。モンマルトルに住み、ピカソを知る。その後、モンマルトルに移り、キスリングやスーティン、藤田嗣治など世界から集まった画家と交流を図り、刺激を受けた。1917年、初の個展を開催するが、肉体を描いた裸婦像が「わいせつ」と見なされ、警官により撤去されてしまう。生前、作品はほとんど評価されず、失意の中で酒や薬に溺れる。長年煩っていた結核により35歳の若さで生涯を閉じた。
アンドレ・サイモン(1881-1969)
詩人。1881年、パリのユダヤ人家庭に生まれた。経 済的な理由から、ほとんど正規の学校教育を受けられなかったが、年長者の詩人たちと交流を図る。1897年、16歳の時にロマノフ王朝末期のロシアに赴き、若い詩人や画家のグループの活動に参加。その後、詩作を続けながらジャーナリストとして活動を開始。1906年に最初の詩集を出版。1916年、知人を介して画家のモディリアーニと出会う。出会ってすぐにモディリアーニの作品の根幹にあるのは「詩的な感性だ」と見抜き、固い友情を結んだ。1926年に「モディリアーニ その生涯と作品」を出版。